藤森神社鎮座1800年祭並に式年遷宮50年祭を記念して、
本殿東座の御祭神であられる舎人親王(崇道尽敬天皇)の功績を称え、広く世に知しめるため崇敬碑を建立。
舎人親王は、天武天皇の皇子であられ、日本最初の国史である日本書紀の偏纂に中心的な方であられ、また
持統、文武、元明、元正、聖武の五朝の国政に参与され、皇室の長老と重んじられました。
歌人としても万葉集に3首残されております。一方では、弓矢蟇目の秘法を伝えられ、文武両道に優れた業績をのこされ、
死後太政大臣位を贈られ、御子淳仁天皇即位に及んで崇道尽敬天皇の称を追号され、当社では古くから文武両道の
神として信仰があり、公家、武家、庶民の崇敬をうけました。
ふじのみず(御神水)
二つとないという意味で不二の水と言われる。地下約100メートルからり湧き出る御神水で、
氏子はもとより、遠方より水を汲みに来られる人々が後を絶たない。
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元禄時代に藤森祭に参加していた七福神行列を神社創建千八百年祭に際し復活させた のを記念して奉納された。 |
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だいにちにょらいしゃ |
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神仏分離以前に境内に祀られていたもので大日如来像が神輿蔵改修の時 に掘り出されたのをお祀りしている。 |
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藤森祭に武者行列として参加する 朝渡・皇馬・拂殿の武者を象徴し、神役会が奉納。 |
菖蒲の節句発祥の地を記念して奉納された。 |
もうこづか
昔は七つの塚があり七ツ塚とも言わた。蒙古の将兵と戦利の兵器を納めた所である。
はたづか
本殿の東にあり、神功皇后が纛旗を樹てられたところで、当社の発祥の地である。
旗塚にあるイチイガシは<いちのきさん>として親しまれており、
ここにお参りすると腰痛が治ると言われていて、幕末の近藤勇も参拝した。
(力石)
昔、所司代の巡検の際に社の神人がこの石を拝殿より鳥居まで返しながらころがす行事があり、また、
祭日には集まった人々により、力試しをしたものである。
![]() いしがき |
南、西の参道入口の両側にある石垣は、伏見城取り壊しの際に城壁の一部を奉納されたもので、 伏見城城壁建造時に寄進した大名のしるしが一部の石に刻まれている。 |
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南 門(正門) | 西 門 |
![]() ちゅうこんひ |
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日清・日露より大東亜戦争までの深草地区出身者の英霊を祀った碑。 |
![]() ほへいれんたいひ |
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当社東方には元京都歩兵連隊があり、それを記念したもの。 現在は京都教育大学。 |
![]() ぎみんひ |
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天明の伏見義民(伏見奉行小堀政方の悪政に苦しみ幕府に直訴した)のうち 深草出身者焼塩屋権兵衛の顕彰碑である。 |
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