境内案内


本 殿
正徳2(1712)年、後水尾天皇の違勅により、中御門天皇から賜わったもので、宮中内侍所(賢所)であった建物。切妻造り、檜皮葺。京都市指定文化財。

拝 殿
本殿と共に御所より賜わったもので、割拝殿という建物の中央に通路がある特殊な拝殿。

八幡宮社(摂社)
延喜式内社の真幡寸神社は古くは深草の地にあって、この八幡宮がそれであると考えられる。御祭神は応神天皇。現在の社殿は永享10(1438)年、足利義教による造営で、国の重要文化財。

大将軍社(摂社)
平安遷都の際に都の四方に大将軍社が祀られ、その内の南方の守護社。御祭神は磐長姫命で方除けの神として崇敬を集めている。現在の社殿は永享10(1438)年、足利義教による造営で、国の重要文化財。

霊験天満宮(末社)
御祭神として菅原道真を祀る。その他の詳細は不明。

七宮社(末社)
豊臣秀吉が伏見城を築城する時に、その地に祀られていた七宮を遷し奉ったもの。現在の七宮は天満宮社、熊野神社、厳島神社、住吉神社、諏訪神社、廣田神社、吉野神社(蔵王堂)。

祖霊社(末社)
神社に功績・功労のあった方々の霊を祀る。

藤森稲荷社(末社)
大正3(1914)年の式年遷宮の折に竣工された。御祭神は宇迦御魂。

大日如来社
明治維新の神仏分離まで境内に祀られていた石像が、神輿蔵改修の時に掘り出され、新たに祀ったもの。御祭神は大日如来。

旗 塚
神功皇后が纛旗(軍中の大旗)を樹て、神祀りされた処で、神社発祥の地。ここにあるイチイガシは「いちのきさん」と親しまれていて、お参りすると腰痛が治るといわれ、幕末の近藤勇も参拝して治癒したと伝えられている。

神楽殿
御鎮座1800年を記念して、平成17(2005)年11月に建て替えられた。

斎 館
大正3(1914)年の式年遷宮の折に建てられた。この建物には旗塚にあるイチイガシの余材でつくられた欄間が取り付けられている。

参集殿
平成元(1989)年3月に竣工。社務所と守札や御朱印などの授与所のほか、南側半分は宝物殿となっている。

宝物殿
重要文化財の紫絲威大鎧のほか火縄銃や大筒等の社宝や、馬の社に因んで日本各地の馬の郷土玩具や世界の様々な馬のミニチュア類を展示している。また近年奉納いただいた太刀、「鶴丸」の写し刀と「一期一振」の写し刀も展示。

手水舎
馬の社に因んで吐水口が馬の像になっている。また手水鉢の台石は石川五右衛門が宇治塔の島十三重の塔の第7層(一説には第9層)を取り外し寄進したという伝説がある。

絵馬舎
現在の拝殿を賜わる前の神社の拝殿を移築して利用したもの。この絵馬舎には慶長18(1613)年に奉納されたという銘のある絵馬がある。

神鎧像
古来、端午の節句に各家々で飾られる武者人形には藤森の神が宿るといわれ、その象徴として、また疫魔退散を祈念して建立されたもの。

不二の水
地下約100mから湧き出る水で、二つとない美味しい水という意味で「不二の水」と呼ばれている。勝運のご利益があるといわれている。

七福神像
元禄時代の藤森祭にあった七福神行列がその後途絶えてしまい、御鎮座1800年祭を期に行列を復活させた記念として平成16(2004)年に奉納されたもの。

金太郎像
勝運の神として菖蒲は尚武に、尚武は勝負に通じることから、男子の成長を祈願するようになった「菖蒲の節句」発祥の地を象徴するものとして建立されたもの。

舎人親王崇敬碑
御鎮座1800年を記念して本殿東座の御祭神である舎人親王(崇道尽敬天皇)の功績を称え、広く世に知らしめるために建立した崇敬碑。学芸上達の神として信仰をあつめている。

神馬像
馬の守護社として、また駈馬神事を象徴するものとして、駈馬保存会が昭和60(1985)年に建て直したもの。

狛 犬
現在のものは2代目で、昭和天皇の御即位50年を慶祝して造られたもの。初代の尾を上げた姿を踏襲しているが、口は阿形一対から阿吽の形式にかわっている。

かへし石
所司代の巡検の際に神社の神人が拝殿から鳥居までこの石をかえしながら転がす行事があった。また「力石」とも呼ばれ、祭日に集まった人々によって、この石を持ち上げる力試しが競われた。

蒙古塚
昔は七つの塚があり、「七つ塚」と呼ばれていた。蒙古の将兵と戦利品を納めた塚といわれている。

忠魂碑
日清・日露戦争から大東亜戦争までの深草地区出身者の英霊を祀る碑。

義民焼塩屋権兵衛君碑
天明の伏見義民(伏見奉行小堀政方の悪政に苦しみ幕府に直訴した)のうちの深草出身者である焼塩屋権兵衛の顕彰碑。

京都歩兵聯隊跡碑
神社の東側、現在の京都教育大学の地には元京都歩兵聯隊があり、神社の北側の道は聯隊の正門に通じていた。その聯隊跡を記念して建てられた碑。

石 垣
南、西の参道入口の両側にある石垣は、伏見城取壊しの際の城壁の一部が奉納されたもので、一部の石には伏見城城壁建築時に寄進した大名の印が刻まれている。

南参道入口
神社正面参道の入り口。ここにある鳥居には正徳元(1711)年の銘があり、石の鳥居としてはかなり古い。またこの鳥居には幕末まで後水尾天皇の御宸筆の扁額が揚げられていたが、幕末動乱期に新選組の近藤勇が額を外し持ち去ったといわれている。

西参道入口
神社西側の参道入口。